スカラベ三島由紀夫論1

 小説の優劣など、さうあるものではない。いや、あるにせよ、それを云々するのと、読んで堪能することとは別事である。

 畢竟するに、それぞれの作家がどういふ趣きで作品を書いてゐるのか、その違ひでしかあるまい。その、各作家が弁へて書いてゐるものを、あれがいい、これは優れてゐる、と云つても無意味である。

 しかし、かの小説家はさうではなかつた。何としても日本一、否、世界一になりたいと願つたのだらう。
 もつと露骨に云へば、日本の歴史・文化・伝統の総覧者たる“文化的天皇”こそ、私である、と思い定めてゐたのだらう。さう考へると自ずから彼の奇矯な天皇主義が解つてくる。文学者としてもNo.1、だから、自分の小説に出てくる語義に対しても分からなければ半券しかあげませんよ、それを調べてきて理解してから、もう一度私の小説に向かいなさい等と、他のどの作家も言い出しさうもない、高飛車な態度を読者にも要求して、恬として恥じなかつたのである(「小説とは何か 五」)。

 だつて、僕の作品はミカド御製と云ふことになるもの、シモジモは私に近づくのに、それ位の労を惜しんではなりませんよ、といふつもりなのだらう。

 人が呑めない、即答も適はないハードルの高い要求を突き付け、耳を塞ぎ、叫び続け、答を聞かうともせずに己れの首を刎ねさせて死んでいつたのである。(研ぎ澄まされた刀の一閃で瞬時に死ねればよかったのに、激痛の斧が降り降ろされたんじゃあ…。徳兵衛じゃあるまいし、死出の旅路の同伴者に介錯を頼むなんて、この人の怜悧さはそこになかったのだろうか?)

 最初からクー・デタの成算などは考慮の外だつたのはこの一事をもつても判る。言葉巧みに担ぎあげられた若者たちこそ迷惑だつたらう。彼らは時が過ぎるにつれ、三島の勝手な死に舞台に唆されたと、嫌でも納得せねばならなかつたのではないか。

 敗戦の混乱で彼は最愛の妹を腸チフスで亡くしてゐた。加へて付き合つていた恋人が他家を嫁ぐことになつた失恋のショックも相当応へたのだらう、ほんたうに。

 だが、帝銀事件、下山事件、三鷹事件、松川事件など、戦後の大事件に対する言動は見あたらないのである。そりゃあ身内の死や恋人の結婚はショックだらうが、これらの大事件にまったく言及がないほど、いはば彼のエゴチズムが露呈してゐることが明白なものはない。(私人ならともかく、小説家は知識人でしょう? 時代の臭いを嗅ぎとるのもいわば仕事でしょう?)

 この人は一事が万事、このやうにどこかズレて人生を生きてきたのだらう。
 だからいくら戦後文学の旗手とか若き鬼才などと喧伝されても、どこか胡散臭い、紛いものの臭ひが付きまとふのである。

 まあ彼にとつては市ヶ谷東部方面総監部のバルコニーで、健康なアンちゃんたちの健全な罵声を浴びたことが(間に合わなかつたらうが)いちばんのクスリになったと私には思えるのだ。

自衛官らをバルコニー前に集結させることにも成功した。だが、ここにも誤算があつた。この日、900人の精鋭部隊は富士演習場に出かけていて留守で、残つていたのは通信・資材・補給などの実戦とは縁のない留守部隊だった。(甘口辛口・賑やかな生活)

 加へて最期の介錯の失敗で二度三度と刀が首に降り降ろされ、死ぬに死ねず、もの凄い激痛の中で、それを終はらせるべく舌を噛み切ろうとして果たせず、その切迫の中、いかに自分が莫迦々々しい想いを長年持ち続けたのかと、その浅墓さと絶望に直面し、暗澹たるうちに意識が遠のいていつたのではあるまいか。最期まで苦痛を振り切ることはできず仕舞いで…。

 でも、仕様がないね、すべては彼の不徳の致す処なのだから。